ペルーの遺跡について

マチュピチュ ペルーといえばやはりマチュピチュ。
ペルーに数多くある世界遺産のひとつで、いまさら説明するまでもありません。
その荘厳さと神秘は、訪れた人たちを魅了し、世界中の人たちの心を引き付けてやまない。

ナスカの地上絵 ナスカ文化が栄えた頃に、祭司的・呪術的な目的で描かれたのではないか、といわれているが、本当のところははっきりしない。
ぜひあなたにこの謎を解明してほしい。

宇宙人

ハチドリ
クスコの街並 クスコはかつてのインカ帝国の首都であった。

カラル遺跡 現在発掘中のカラル遺跡。この遺跡はおよそ5000年前のものとも言われている。
もしかしたら,4大文明の歴史が覆るかもしれない…

ペルーの気候について

リマにはなぜ雨が降らないのか?
資料:日本人移住100周年記念誌「コノスカモス・エル・ペルー」

A.ペルー海流と海岸地帯の乾燥気候 ペルーの海流は、その海水が冷たいことが特徴である。これは、ペルー海流(フンボルト海流)の勇昇現象(50m~100mの深度の冷たい海水が海面近くに上昇してくること)によるものである。この冷たい海水によりペルーの海岸地帯の高度850mまでの空気が冷却される。
雨は水蒸気を含んだ空気が、上昇するのに従って膨張し、気温が下がって水滴や氷ができる。これらの粒が上昇する空気の力で支えきれなくなり落ちてくるのだが、上空約900mの空気が23~24度の高温のため、上昇気流が起こらず、積乱雲(入道雲)などの雨雲ができない。そのため、海岸地帯の空気は安定し、あまり動かず、この空気が持っている大量の水蒸気は高度約850mの低空にとどまり、霧や小雨になるだけである。

B.アンデス山脈と海岸地帯の乾燥 アンデス山脈は、アマゾン地域から偏東風によって運ばれてくる水蒸気をたくさん含んだ空気が、その高さのために越えることのできない壁となっている。偏東風はアマゾン地方からアンデス山脈の方向に向かって大量の水蒸気を含んだ空気を押し出してくる。この水蒸気を含んだ空気は、高地セルバまたはパルバと呼ばれる地帯の上空で凝縮し、濃い雲をつくる。従って、高地セルバには常に雲があるだけではなく、ペルーで最も雨の多い地域となっている。ここで水蒸気を失った偏東風は、アンデス山脈を越えて、西に向かって吹くが、乾燥した空気のため、海岸地帯に雨を降らすことはない。

C.南太平洋高気圧 南太平洋高気圧は、冷たい空気の塊で、南太平洋の海域を時計の針と反対の方向へ渦巻きのように回っている。この冷たい空気は、ペルーの海岸に近づき、空気をいっそう冷却する役割を果たしている。大気中の水蒸気を凝縮し、濃く厚い層雲を形成するのが、海岸地帯の空に毎日見える。このようにして形成された層雲は、太陽光を反射するため、太陽光線が地上に届くことを妨げ、その結果温度を引き下げる。雲の天井の存在によって起こされる大気の温度の逆転のため、海岸地帯の空気は安定したものになるが、このような状態では、空気の塊は上昇せず、水蒸気は低いところに留まるので、雨が降らないのである。

ペルーの歴史について

ペルーの歴史を語る上で,欠かすことのできない国「インカ帝国」
このインカ帝国に関することを紹介します。

ピサロの侵略について  ピサロが侵略にのり出したのは1524年のこと。この年,第一回目の航海をする。しかし、おもわぬ事故がおきガリョ島にうちあげられたピサロは航海を一時中断。だが、1526年、ピサロの友「ロドリゲス」が船でガリョ島に上陸。こうして、航海が再開される。
 ピサロは侵略にたいした兵もかしてもらえず、わずかな手勢でペルーへ上陸した。しかし、そのころペルーではワスカルとアタワルパ兄弟の皇位争いがおこっており、大規模な戦争がおこっていた。ピサロはこれを利用し、インカを征服してしまおうと企んだのである。
 ワスカルとアタワルパの争いでは、もともと兄であるワスカルが即位していたがその勝手なふるまいから不満を抱く民も少なくはなかった。結果、弟アタワルパが勝利。皇位を奪う。これがインカの滅亡を招くことになる。
 まず、ピサロは先住民からペルーの首都クスコ(現在はリマだが当時の首都はクスコ)のことを聞き出し、さらには皇帝がカハマルカにいることも聞き出した。そして、ワスカルに不満を抱く民たちを説き伏せ、大勢を従わせた。このような情報をもとに、カハマルカへむかい、兵を配置させ、待った。
 そこへアタワルパが入ってくる。ピサロは、アタワルパにイエス・キリストの教えを説きにきたと嘘をつきアタワルパを油断させ、聖書をアタワルパにさしだす。だが、所詮紙で出来ている本に過ぎない聖書を神だというスペイン人にアタワルパは我々の神は「インティ」(太陽)だけだといって聖書を輿の上からなげすててしまう。ピサロは神を汚したインカのものに腹を立てたスペインの兵に攻撃を命令。インカの兵は数では勝っていたにもかかわらずスペインの不意打ちにことごとく撃破され、皇帝アタワルパをとらえられてしまったのである。
 アタワルパの捕獲に成功したピサロはすぐにアタワルパを殺そうとするが、アタワルパは帝国の金のことを全てピサロに話してしまう。「我を助ければ、帝国の金を与えよう」と。この無謀な発言をきっかけにピサロは莫大な黄金を手に入れ、アタワルパは処刑され、インカ帝国は失われてしまったのである。

黄金について  インカ帝国には莫大な金があった。というのも金の取れる鉱山がたくさんあったからなのである。現在のペルー共和国の国旗にも描かれている、三つの国宝のうちのひとつもこの金である。
 この金が引き金になりスペイン人の侵略をあおってしまうのだが、インカの人々はこの金をどのようにつかっていたのだろうか。
 今までに見つかっている金のなかで最も多いのが皇帝が身に付けていた備品、そして太陽神「インティ」に捧げたとされる金である。そして、それら全ての金はとても美しい加工がしてあり、とても500年前のものとは信じ難いのだが、インカにはその時代にすでにそれだけの加工技術が備わっていたのである。
 さて、インカの人々にとって、皇帝とはなにか。なぜ、金を皇帝にばかり費やしたのだろうか。
 それは、インカの民たちが皇帝は太陽神「インティ」の子だと信じていたからである。また、皇帝もその信頼のもと太陽神のお告げを聞き、帝国を治めていたため、民たちは偉大なる太陽神こそが真の神であると信じ、そのもとで生活していたのである。また、皇帝さえも、自分がこの国で最も身分が高いのではなく、自分よりも太陽神を尊重してきた。それこそが、インカの王と他国の威張った王との大きな違いであるといえよう。
 では、金を皇帝に費やしたのはなぜか。
 先ほどにも述べたように皇帝は太陽の子であると信じられてきたため、まばゆい光を放つ金は加工され全て皇帝の備品として、ささげられたのである。
 このように金は主として、皇帝や神をまつる祭壇など民にとっても皇帝にとってもとても重要なところにおかれていたということがわかる。インカの民はこの金の本当の意味を理解しインカという広大な帝国を築き上げていったのである。

ペルーの音楽について

ペルーを代表する音楽は? ペルーを代表する音楽に,「ムシカ・クリオーヤ」があります。
その「ムシカ・クリーオヤ」の第一人者として人気が高いアーティスト,エヴァ・アイジョン。
エヴァ・アイジョンについて調べたことをお伝えします。
パーソナリティーValentin氏とのインタビュー
San Borja ラジオ放送局にて…

Q:Musica Criollaの昔と今を教えてください。
A:Musica Criollaは20世紀前半にできたと言われています。1944年には正式に10月18日を「Musica Criollaの日」と制定されました。しかし、現在は翌日が休日でMusica Criollaを楽しむことができるパーティなどを開きやすい10月31日に変更されました。昔は主にギターとカホンで演奏していましたが、今はドラムやエレキギターなどさまざまな楽器が使われるようになりました。現在知られているMusica Criollaのほとんどは20世紀前半に作られたもので、CDなどはリメイクされて販売されているそうです

Q:エバ・アイジョン(Eva Ayllon)について教えてください。
A:エバ・アイジョンは14歳の頃から歌を歌い始めました。1970年代に入ると地元のレストランやバーなどで歌うようになり、とても魅力的な声の持ち主ということで1977年には「Kipus」というグループにスカウトされました。少女時代はおばあちゃんに育てられたことからエバ・アイジョンの曲にはおばあちゃんについての思いが数多く歌われています。ペルーをはじめ、チリ、ベネズエラ、アルゼンチン、ヨーロッパでも歌ったことがあって、現在は2年前に結婚したばかり夫と息子2人でアメリカに住んでいます。一度は作曲家を試みたこともありましたが、あまりうまくいかず現在は歌手として活動を続けています。代表曲は「Mal Paso」、「Ritmo, Color y Sabor」、「Le Dije a Papa」などがあります。

Q:どうしてMusica Criollaの代表曲「Mal Paso」はペルー国民に愛されているのですか?
A:一般にMusica Criollaはあまり若い人たちに人気がないのですが、「Mal Paso」は若い人も共感できるような覚えやすい歌詞やキャッチーなメロディーがあるから国民に広く親しまれているのだと思います。また美しい声のエバ・アイジョンが歌っていることもあると思います。